なんだか少し、物議をかもしそうな、キャッチーな題名ですが、省エネといえば、私はともかくとして、親が住む実家はかなり進んでいるのではないかと思いますので、今日はそのことを中心に書いていきたいと思います。
さて、正月に帰省をした時の両親の素の生活状態です。
いわゆる、「身の回りでできること」もここまでくるとたいしたものだと思います。
以下のようなことを徹底していました。
・部屋全体用の暖房は客が来た時以外は使わない
・風呂はシャワーのみ
・冬場は普通の部屋を冷蔵庫代わりに使用
・電灯は数分でも消す
・電化製品を使用しないときはコンセントから抜く
・屋内でも重ね着、手袋
この時期、年賀ハガキを印刷するために、手袋をしてキーボードをたたく父
・コタツ、湯たんぽで暖を取る
・輻射断熱シートを床に敷き詰める
フローリングの上の輻射断熱シート。ツルツルすべるので遊ぶのには最適。
・生ゴミは庭に埋めて肥料化する
また、屋内ではないですが、
・移動は数KM以内であれば買い物も自転車
・車ではエアコンを使わない
(毛布を足にかけて、手袋をして運転)
プリウスの運転席にはなぞのピンクのタオルが…
書き添えておきますと、数年前に家を立て直したことから、オール電化にはなり、多少の断熱はされているものの、太陽光発電、太陽熱温水器、燃料電池といった技術は入っていません。また、格段にお金がかかっているということも、立地に恵まれているということもありません。愛知県は岡崎市の住宅地にある、普通の家です。
しかし、ここまでやると、電気代は月々4,000円弱ぐらいで、1年に一度、我々一家が泊まりに来た月だけ1,000円以上高くなるとのことです。(すみません)
20[円/kWh]、0.452[kg-CO2/kWh](中部電力)とすると、
4000[円/月] * 12[月] / 20[円/kWh] * 0.452[kg-CO2/kWh] = 1084.8[kg-CO2/年]
2人で生活しているので2で割って、
実家一人当たり 542[kg-CO2/年]
一方2006年の一人当たり(水道・ゴミ・ガソリン・軽油の37.6%分除く)の屋内でのCO2排出量(※)は
2,100[kg-CO2/年] * 62.2/100 = 1,310[kg-CO2/年]
日本平均一人当たり 1,310[kg-CO2/年]
ざっと比較すると、私の実家は、2006年平均比、約60%減ですのので、家庭の屋内に限定すれば、既に40年後の、2050年の長期目標(60%~80%削減)に到達しつつある位置にいます。
(まあ、比較的温暖な太平洋側の地域に住んでいるということや、給湯で夜間電力を使っているということもありますが、まあ、そこのところは議論が分かれますので大目にみてください。)
なんと「身の回りでできること」だけで40年後の目標をほぼ達成です。
チームマイナス6%ならぬ、チームマイナス60%です。
当の親は、「こんなのは哲学と慣れの問題で、好きでやっているだけだけど、なにか?」
と涼しい顔をして実践しているので、本当にたいしたものです。
子供としてはもう若くもないので、健康が少し心配ですが…。
さて、こういった省エネ方法による削減を「やればできる」と見るか、「こんなの無理」と見るかは意見の別れるところかもしれません。
私の親の同世代(またはその上)の方々は戦後の焼け野原から裸一貫で日本を作り上げてこられたということもあるのでしょうが、本当に前向き、かつハイパーでパワフルな方が多いため一部の方は、「やればできる」かもしれません。
しかし、私を含めて、物やサービスが溢れる高度経済成長の中で育ってきた世代には、自由意思で実施できるレベルを超えていて、「こんなの無理」という気もします。
ここまでやるのが嫌なら、お金を払って、自分の家屋へ環境投資をするか、税金でインフラの整備をして、そちらで削減するしかないということになってしまいます。
しかし、本当のところは、
家庭の分だけ削減したら万事OK、地球温暖化問題に関して、もう日本はもう合格点というわけではなくて、家を出たところで、家庭の分の約4倍(日本人は平均一人頭、家庭分を含めてだいたい10トン/年)も出しているわけで、そっちの残りというか、メインの方もなんとかしないといけないわけです。
例えば、日本人全員が、家庭では電気もガスも灯油も使わないで、移動は徒歩(まあ、テントを張って原始時代の生活しているようなものです)という生活でもしてもらって、そこからスーツを着ていつも通りに仕事をするとして、全体の20%ぐらいの削減です。
えっ、家でゼロにしても、まだ80%も残ってんの?
ここまで来ると、なんだかあきらめムードも漂ってしまいそうですが、それでも、「地球はもう都合が悪くなったから、やめた!、脱出!」というわけには行かないですから、やることはやらないといけないわけです。
個人的には、この問題は、「CO2はゴミで、ゴミはただでは出せない」という単純なことを認めることが第一歩だと思っています。
一方で、別の問題として、ゴミの処理にはいくらかかるか、どうやって処理したら効率がよいか、誰がどれだけCO2ゴミを出してよいか、どう割り振ったら平等かという問題郡は山積していますが、上記のCO2の処理には値段がついているということと混同をされるべきではないと考えています。
結局、我々は既に炭素制約社会の中に生きていて、その中でどうやってその変化に適応をしながら、生活し、ビジネスをするのか、ということへ早く意識を転換することが重要なのではないかと思いますが、いかがでしょうか?
(※)
出展:JCCCA
家庭からの二酸化炭素排出量(一人当たり、燃料種別)
http://www.jccca.org/content/view/1049/789/
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